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広島女学院中学高等学校

更新情報

2016.02.17

生徒礼拝

2月16日

1年4組 K.M

 

何事にも時があり/天の下の出来事にはすべて定められた時がある。

生まれる時、死ぬ時/植える時、植えたものを抜く時

殺す時、癒す時/破壊する時、建てる時

泣く時、笑う時/嘆く時、踊る時

石を放つ時、石を集める時/抱擁の時、抱擁を遠ざける時

求める時、失う時/保つ時、放つ時

裂く時、縫う時/黙する時、語る時

愛する時、憎む時/戦いの時、平和の時。

コヘレトの言葉3章1節 ~3章8節

 

私が 初めてこの学校に来たのは去年の4月でしたが、その時はまだ女学院の生徒ではありませんでした。そして半年後、ようやくここの生徒になりました。

今日は、その半年に抱いたいろいろな気持ちと、体験した一つ一つの「時」についてお話したいと思います。

小学校4年生の夏、父の転勤で、私の家族はアメリカへと飛び立ちました。そして3年後、日本に帰ることが決まりました。始め、「帰国」という言葉を聞いた瞬間、「イヤだ」という気持ちが突き刺さるように私の心を通り過ぎました。私は「憎む時」というものを味わいました。私は何も悪くない父を憎んでしまいました。その時の私は、「何でお父さんの都合で日本に帰らないといけないの。ずっとここで、友達と楽しく学校に通っていたいのに。ホント帰りたくない。お父さんなんて……」というように一週間ほど父を憎んでいました。

ですが、やがて憎しみなんて忘れて、大切な時間を友だちと笑って、踊って、まさに「笑う時」「踊る時」が「定められた時」であるかのように、友だちと遊びました。私は、愛する友だちと遊べることが「愛する時」なのだろうと思いました。そして、「愛する時」はこんなにも楽しいということを実感しました。

しかし、そんなに楽しい時間はずっと続くとは限りません。とうとう帰国一日前になってしまいました。私は、聖書箇所の3章6節にある「求める時」を経験しました。「まだ、アメリカにいたい」と強く求める気持ち。しかし、その願いは叶わず、大切な人たちを「失う時」を私は味わいました。

 

何事にも時があり/天の下の出来事にはすべて定められた時がある。

To everything there is a season, and a time to every purpose under the heaven.

 

生まれる時、死ぬ時/植える時、植えたものを抜く時

A time to be born, and a time to die, a time to pluck up that which is planted.

 

みなさんも分かるように、英語も日本語も、「time」、「時」という言葉が一つ一つ書かれています。私は、これは「人生にはいろんな時があるよ」と言いたいのではないかと考えました。自分に訪れた「時」は、たとえ不本意であっても受け入れなければならない。どんなにつらいことがあっても、それは、しかたのないこと。いろいろな時があってこその人生だと思うからです。

みなさんは、手漕ぎボートに乗ったことはありますか? 手漕ぎボートは後ろ向きに進んでいきます。なので、漕いでいる時に見えるのは、自分が進んできた道=「過去」であって、目的地=「未来」は見えません。あらかじめ見ることのできない「未来」は何が起こるかわかりません。もしかしたら、岩にひっかかって動けなくなることもあるかもしれません。岩にあたってしまってボートから落ちてしまうかもしれません。ですが、様々な困難があっても、最後は目的地までたどり着けるかもしれません。

この聖句は私に、「未来は何があるか誰にも分からないが、何があっても現実を受け入れ、次に進まなければならないと」と伝えているように思えました。

 私はこの聖句が大好きです。なぜなら、この聖句は帰国前に、アメリカの友だちが私に言ってくれた箇所だからです。先ほど私は、帰国によって大切な人たちを失ってしまったと言いましたが、今も彼女とはメールでやり取りをしていて、離れていても友だちでいます。これも、1つの「時」なのではないかと私は考えます。

また、私は今、とても楽しいです。なぜなら、女学院で新しい友だちと出会い、みんなで話したり遊んだりできるからです。私はこれを「生まれる時」だと思いました。新しい気持ち、新しい思いが生まれたからです。

これからもいろいろな時があると思いますが、何があっても受け入れて、次へ進んでいきたいと思います。