私たちが伝えていきたいこと

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広島女学院
高等学校教頭
高見 知伸
1966年広島県生まれ。
広島女学院にて中高大の10年間を過ごす。
1995年より本校英語科教諭。
2018年より高校教頭。
広島女学院中学高等学校
校長
渡辺 信一
1961年大分県生まれ。
1984〜1993年に数学科教諭として本校に在職した後、福岡県で教鞭をとり、2001年より本校教諭。
2014〜2017年に高校教頭。
2018年より校長。
広島女学院 院長
広島女学院大学 学長
湊 晶子
1932年宮城県生まれ。
東京女子大学卒業後、フルブライト奨学生としてホイートン大学大学院(神学修士・2008年名誉博士号)。
東京基督教大学、東京女子大学教授などを経て、2002〜2010年に東京女子大学長。
2010年「瑞宝中綬章」受章。
2014年より本学院長・学長。
広島女学院
中学校教頭
渡部 新
1965年東京都生まれ。
1988年より本校体育科教諭。
2016年より中学教頭。
生き方を考える女子教育

【湊 院長】 私は28歳から教壇に立たせていただき、広島女学院が4つ目の教育現場ということになります。それまで広島にはあまりご縁がなかったのですが、80歳を過ぎて被爆地である広島へ招かれました。戦争では目の前で多くの友人や恩師を亡くしましたが、私は九死に一生を得て生かされています。こうして広島へ導かれたことは私の「最後の使命」であると思い、広島での教育に身を捧げようと心に決めております。
広島女学院に来て最初の印象は「生徒たちの元気がいい!」ということ。良い意味で自己主張がはっきりしていて、自分の意見を持ち、しっかりと発言できる生徒が多いと感じたことを覚えています。これはキリスト教教育を基盤とした女子教育の賜物といえるでしょうね。

【渡辺校長】 そうですね。本校では、毎朝礼拝があるので、聖書の教えから1日が始まります。毎日静かに聖書の教えに触れることは、生徒たちが自分自身と向き合う時間にもなるのでしょう。

【渡部 中学教頭】 新入生の中には「礼拝」とか「聖書」と聞くと、ちょっと身構えてしまう生徒もいるようですが、それも最初だけですね。

【高見 高校教頭】 私自身も広島女学院生として、中学から大学までを過ごしました。私もそうであったように、生徒たちのほとんどがクリスチャンではありませんが、本校での教育を通して「自分は何をなさなければならないのか」というミッションに向き合うのだと思います。

【渡部 中学教頭】 キリスト教教育は、決して宗教活動をしようということではなく、聖書の言葉を通して、いろいろな考え方や価値観に触れ、心の成長や生き方を考える教育です。私も広島女学院という環境の中で、教師として育てていただいたと感じています。

【渡辺校長】 私も、他者のために時間を使うことの尊さを感じながら一日一日を積み重ねることで、広島女学院の教師にならせていただいたと思います。

「ぶれない個」の確立

【湊院長】キリスト教教育の根底にあるのは人格教育、リベラルアーツ教育です。それはつまり、「ぶれない個」を確立するための教育だと私は考えています。日本人の多くは無意識に「もしあなたがそうなら、私はこう」というように「私」が後からくるのが典型的ですが、それではグローバルな社会では活躍できませんよね。
みんなが「Yes」と言っていても自分だけ「No」と言えるか。「私はこう思う」と、一人称で発言できる人を育てることが、広島女学院の教育なのです。

【高見 高校教頭】 広島女学院の一日は聖書を読んで讃美歌を歌ってスタートします。もちろん、眠たい時もあれば気分が乗らない時もあります。私もそうでした。でもある朝の礼拝で読んだ聖句が、当時様々なことで悩んでいた私に大きなヒントを与えてくれて、まるで雷に打たれたような衝撃でした。そのような経験が何回かあり、無意識のうちに私の価値観の土台が形成されたのだと思います。

【渡部 中学教頭】 これからの時代は教育が変わり、大学入試も変わると言われており、本校でもさまざまな取り組みを行っています。しかしその一方で大切だと思うのは「原点回帰」です。グローバルな人材の育成につながるキリスト教教育は、広島女学院が伝統的に脈々と受け継いできたものであり、教育改革に対応することを目的に行っているわけではないのです。教育改革という課題に向き合ったことで改めて、本校の「建学の精神」が持つ重要な意味を考えさせられたように思います。

【高見 高校教頭】 確かにそうですね。時代の流れとともに変わったところも当然ありますが、130年以上変えてこなかったことは、これからも変えてはいけないと思っています。そして、昔の宣教師の先生方がタイムスリップして現在の広島女学院に来られた時に「あら懐かしいわね。変わってないわ。」と言っていただけると嬉しいなぁと思います。

【渡辺校長】 やはり「ぶれない」ということにつながってきますよね。表面的、一時的な結果だけを求めるのではなく、本質の部分を追求していかなければ意味がないということです。もちろん、学力や進路を軽視するということではありません。広島女学院の生徒は「学びたい」という意欲が旺盛ですから、生徒たちが求めるものに応えるには、表面的な知識やテクニックを詰め込んだのでは通用しません。そのことは、私たち教師が誰よりも実感しているところですね。

「心の鏡を持つこと」とは

【湊院長】 私は家中いたるところに鏡を置いています。それは、こんな経験がきっかけでした。私の子どもたちがまだ幼かった頃のことです。けんかをして大騒ぎになったりした時にカッとなって叱っている顔、いらいらして夫に反論している顔を鏡に映したことがあります。何という顔!これは大変と思い、いつでも自分の表情を確認できるように、家中に鏡を置くようになりました。キリスト教の学校で学ぶということは、「心の鏡を持つこと」なのです。聖書を通して自分の心を映すことで、時には醜さに気づかされることもあるかもしれませんが、それまで見えていなかった自分の姿が見えてきますね。

【渡辺校長】 私はよく生徒たちに「魂の部分で物事を見ようね」と話します。知識だけではなく、「すごいなあ」「美しいなあ」と魂が感じる、みずみずしい感性を大切にしてほしいと願っています。感じる心を大切にするということは、「心の鏡を持つこと」にも通じることですね。

【高見 高校教頭】 中高時代はまだピンとこないかもしれませんが、必ず一人ひとりに与えられたミッションがあります。それぞれが置かれた場所で、自分に何ができるのかを見い出し、人としてどうあるべきか、いかに生きていくかを追求してもらいたいと思います。

【渡部 中学教頭】 そうですね。卒業生たちの活躍を見ていても、損得勘定だけで動いている人はいません。自信をもって、自分の生き方として、仕事や与えられた役割に従事しています。私たち教職員は、生徒たちが生き方の柱を見い出す一助になれるよう、精一杯努めさせていただくことが使命ではないでしょうか。

湊院長から保護者の皆さまへ
湊院長から保護者の皆さまへ
私自身の子育て経験と重ねて、お伝えしたいことがあります。中高生の子どもは勉強の出来によって評価されてしまうことが多いと思うのですが、偏差値の高さ低さで子どもの人生が決まるのではありません。その子のできること、良いところを親がしっかりと受け止めることが、子育ての原点です。そして、サーカスで例えるなら、親は空中ブランコの下のハンモックです。落っこちた時には必ず受け止める。
「だからいいじゃない。やってごらん」。ぜひそう言ってあげてくださいね。
私にとってキャリアとは一生涯です。金銭的な報酬を得る労働だけがキャリアではないのです。自分に与えられたキャリアを精一杯に生き抜く力を身につけることが、幸せにつながるのではないかと思います。